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東京地方裁判所 平成6年(合わ)147号 判決

主文

被告人を懲役八か月に処する。

未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

理由

(犯罪事実)

被告人は、平成六年三月一七日午前一時三〇分ころ、東京都新宿区《番地略》甲野荘二〇三号室の実父A(当時六六歳)方において、酒に酔った同人からしつこく絡まれたことなどに腹を立て、同人に対し、左手拳でその左肩付近を二回位、前頭部を一回それぞれ殴打して同人を後方に転倒させ、さらに、前屈みになった同人の背部を右肘で二回肘打する暴行を加え、よって、同人に全治約一週間を要する前頭部挫裂創及び後頭部挫創の傷害を負わせた。

(証拠)《略》

第一  傷害致死罪を認定しなかった理由

一  本件公訴事実の要旨は、被告人が、判示の日時、場所において、Aに対し、左手拳で同人の左前胸部を二回位殴打し、右肘で同人の背部を体重をかけて殴ち降ろすなどの暴行を加えて、同人に鈍的胸部外傷を起因とする骨性胸部損傷(連続多発節片肋骨骨折、肋間動静脈損傷)等の傷害を負わせ、同日午前六時ころ、判示甲野荘玄関土間において、同人を右傷害に基く血胸により死亡させたというものである。

これに対して、当裁判所は、被告人の暴行によってAが死亡した事実を認めることはできず、判示の傷害の限度で認定しうるにとどまると判断したので、以下、その理由を示すこととする。

二  本件の概要

前掲の証拠のほか、Bの検察官調書(甲16、不同意部分を除く)、Cの警察官調書(甲32)、捜査報告書(甲1)、傷害致死被疑事件取扱い状況報告書(甲13、不同意部分を除く)、実況見分調書(甲8)、写真撮影報告書(甲9)によれば、被告人は、平成六年三月一七日午前一時三〇分ころ、甲野荘二〇三号室で、Aに暴行を加えたところ、Aが前頭部から出血しているのに気付いて救急車を要請し、Aは東京厚生年金病院に搬送され、同病院で治療を受け、その後、同日午前三時過ぎころ、A及び病院に同行した被告人は甲野荘に戻ったが、Aは甲野荘玄関土間で寝込んでしまったこと、甲野荘の居住者らが、同日午前五時二〇分ころ、同所で倒れているAを発見し、警察に通報し、警察官が臨場したときには、Aの意識及び脈はなく、同日午前七時ころ、臨場した救急隊員がAの死亡を確認したことがそれぞれ認められる。

三  Aの受傷状況及び死因となった創傷について

1 証人沢口彰子の証言及び同人作成の甲3の鑑定書(以下、これらを「沢口鑑定」ということがある。)並びに証人高津光洋の証言及び同人作成の職9の鑑定書(以下、これらを「高津鑑定」ということがある。)によれば、解剖時にAの死体に認められた主たる創傷の部位及び程度は、次のとおりであると認められる。

<1> 前頭部に長さ約六センチメートルの挫裂創(縫合されている。)。

なお、この前頭部の創傷については、証人D子及びEの各証言、「回答書」と題する書面(甲31)、診療録写し(弁8)、前記傷害致死被疑事件取扱い状況報告書では、「前額部」の創傷とされているが、以下、「前頭部」の創傷と統一して記述することとする。

<2> 後頭部に長さ約二・七センチメートルの挫創(縫合されている。)。

<3> 後頭部右側に長さ約七センチメートルの頭蓋骨線状骨折及び径約四センチメートルの頭蓋骨陥凹骨折。

<4> 胸部に多発性肋骨骨折(左第三ないし第七肋骨完全骨折、右第二、第三肋骨完全骨折)、左肋骨骨折部位周囲の肋間筋肉の挫滅及び皮下・筋肉組織間に厚層ないし中等層の出血、左肺損傷、左側血胸(左胸腔内に約八〇〇ミリリットルの出血)、左側胸部に皮下ポケット状剥皮創。

<5> 背部に第四、第五胸椎棘突起完全骨折、多発性肋骨骨折(左第一ないし第三、第五、第六肋骨完全骨折[なお、高津鑑定では、左第四肋骨の骨折も指摘されている。]及び右第二ないし第五肋骨完全骨折、右第六肋骨不完全骨折)、左肋骨骨折部位周囲の肋間筋肉挫滅及び左右肋骨骨折部位周囲の皮下・筋肉組織間に厚層ないし中等層の出血。

<6> 左上腕前外側に皮下・筋肉組織間に厚層ないし中等層の出血。

2 そして、Aの死因については、沢口鑑定では、胸骨部の創傷による外傷性原発性ショックの状態が関与した急性呼吸不全によると推定されるとされ、高津鑑定では、胸背部の創傷による出血性ショックを主体とするとしており、両鑑定が一致して述べるように、前記<4>及び<5>の胸背部の創傷は極めて重篤で、Aの直接的な死因となった創傷であり、他の創傷は死因との直接の関係はないと認められる。

四  死因となった創傷の発生時期について

前記二のとおり、Aは、被告人から暴行を受けた後、東京厚生年金病院に搬送され、治療を受けているので、Aの死因となった胸背部の創傷が同病院で診察を受けた時点で発生していたか否かについて検討する。

1(一) 被告人の公判廷供述、証人D子の証言、「回答書」と題する書面(甲31)、診療録写し(弁8)、傷害致死被疑事件取扱い状況報告書(甲13、不同意部分を除く)によれば、同病院でのAの状態及び治療状況は、次のとおりであったと認められる。

同病院の当直医であったD子がAの治療に当たり、前頭部挫裂創及び後頭部挫創の縫合処置を行ったが、Aは酩酊しており、治療に素直に応じない状態であった。

Aは、診察時には椅子に座っていたが、縫合処置の際にはベッド上に横になり、途中で便意を催し、被告人の肩を借りてトイレまで歩き、便座に座って用便をした。また、D子がどこか痛いところはないかと尋ねたのに対し、Aが左肩が痛いと答えたので、B子らが診察のためセーターを脱がせようとしたところ、Aは腕を振り回して暴れるなどしたが、特に痛がっている様子はみられず、左肩以外に痛い部位があるとも言わなかった。さらに、Aは大声で喚くなどしており、呼吸困難の症状もみられず、同病院で血圧と脈拍を測定したところ、血圧は最高血圧が一一八で最低血圧が六〇、脈拍は一分間に七六回であった。D子は、Aの左肩について、緊急に検査する必要を認めず、A及び被告人に対し、当日午前中にもう一度受診するように言った。

(二) また、被告人の公判廷供述及び警察官調書(乙2、3)によれば、病院での治療後、A及び被告人はタクシーで甲野荘に戻ったところ、Aはタクシーから降りようとせず、被告人がAを抱えるようにしてタクシーから降ろし、引きずるようにして甲野荘玄関土間に運んだが、その際、Aは被告人に、よけいなことをするな、お前が怖くて部屋に戻れない、ここで寝るから布団を持って来いなどと言って同所で寝込んでしまい、被告人が二〇三号室から毛布を取って来てAに掛けたことが認められる(甲野荘に至る通路上に擦り跡があることや、同荘玄関土間で発見されたAに毛布が掛けられていることからして[甲8の実況見分調書、甲9の写真撮影報告書]、病院からの帰宅後の状況についての被告人の供述は信用できるといえる。)。

これによれば、Aは、甲野荘に戻った後も、会話ができる状態にあったことが認められる。

2 そして、胸背部の創傷が生じた後のAの状態にについて、高津鑑定は、多発肋骨骨折、厚層な皮下・筋肉組織間出血、筋肉挫滅、肺損傷、血胸がみられるという胸背部の創傷の重症度からして、激しい疼痛があり、体動時等には痛みが増強されたとみられ、呼吸困難、呼吸不全を来していた可能性もあり、これらが行動能力に多大な影響を与えると思われる。また、Aの飲酒酩酊や重症肝硬変による出血化傾向をも考慮すると、胸背部創傷が被告人の暴行時に生じていたとすれば、病院での診察時には多少とも出血性ショックの症状が発現していておかしくない。さらに、Aの胸背部の創傷の重症度は重症肝硬変、低体温症の影響等を総合すると、受傷後、数十分から一時間程度の比較的短時間で死亡した可能性も否定できないとしている。

また、沢口も、Aの胸背部の創傷が極めて高度であることからして、一般的には、痛みで腕を振り回すなどすることは困難であり、肝機能低下が飲酒酩酊による出血化傾向をも考慮すれば、Aが受傷後、一時間内外という短時間で血胸及びこれによる呼吸不全を惹起するほどの出血をした可能性が高い旨の意見を述べている。

右の高津及び沢口の意見は合理的なものであり、これによると、Aの胸背部の創傷が東京厚生年金病院での診察時以前に生じていたとすれば、右診察時に、Aに、激しい疼痛や出血性ショックの症状、呼吸困難のような症状が出ていたとみるのが合理的である。

しかしながら、前記1(一)のとおり、Aは、同病院において、ベッド上に横になったり、被告人の肩を借りてトイレまで歩き、便座に座って用便をしたり、腕を振り回すなどしているが、その際に特に痛がる様子はなく、胸部や背部が痛いと申し出ることもなかったうえ、呼吸困難の症状もみられなかったことが認められ、また、血圧と脈拍の測定値も、D子の証言及び高津鑑定によれば、一般的には正常の範囲内であり、出血性ショックの症状もみられなかったこと(出血性ショックが生じていれば、血圧は低下し、脈拍は早くなる。)が認められる(なお、D子も、診察時のAの状態からして、Aに前記のような胸背部の創傷が生じていたと考え当たる所見はない旨証言している)。さらに、前記1(二)のとおり、Aは、治療が終わり甲野荘に戻った後も、会話できる状態にあり、呼吸困難の症状は現れていないことが認められる。

したがって、同病院での診察時及び帰宅後のAの状態からすれば、胸背部の創傷が、同病院で診察を受けた時点で既に生じていたとは認められない。

これに対して、検察官は、身体を直立させ、あるいは、普通に座った状態で、肋骨の骨折面が擦れ合わないような状態での動作であれば、酩酊等の影響により痛みを訴えないこともある旨の証人Eの証言に基いて、Aの胸背部の創傷が、同病院での診察前に既に生じていたと主張している。しかしながら、右Eの証言は、脊柱が真っ直ぐなるような状態での動作であれば、痛みを訴えない可能性があると述べるにとどまるものであり、E自身も、寝た姿勢から起き上がる際に痛みを訴えなかったのであれば、胸背部の創傷が生じていたかは疑問である旨証言しており、また、高津鑑定は、解剖時の尿水アルコール濃度からして、Aの酩酊状態は軽度であり、酩酊のため痛みを感じなかったとは考え難いとしていることからしても、検察官の右主張は採用することができない。

五  Aの胸背部の創傷を惹起した外力の作用について

高津鑑定は、多発肋骨骨折及び胸椎棘突起骨折のような胸背部の重篤な創傷は、交通事故や、梯子、階段等からの転落、胸部挟圧等により、強力な外力が胸背部に作用した場合に多くみられ、Aの胸背部への外力の作用を推測すると、階段等の比較的高い所から転落し、左肩から上腕、左前胸部及び側胸部、背面等を強打したような場合が最も説明しやすいとし、Eも、胸椎棘突起骨折は、交通事故の場合のように、背後から非常に強力な外力が作用した場合にみられることが多く、Aのすべての創傷が生じた受傷機転としては、階段からの転落が最も考えられる旨証言している。

また、高津鑑定は、第四、第五胸椎棘突起の骨折は、この部分にかなり強力な直達外力が作用して形成されたものであり、背部の左右肋骨骨折は介達性骨折である可能性が高く、骨折部位がほぼ直線的に並んでいることからして、これらの骨折は同時に生じたと考えられるとし、Eも、胸椎棘突起の部分に、前方に向かって非常に強い外力が作用してこれが骨折するとともに、強い胸郭の変形が起きて、左右の肋骨が骨折したと思われ、これは一回の外力の作用によると思われる旨、同趣旨の意見を述べている。そして、両名が一致して述べるところによれば、胸椎棘突起は、周囲を筋肉に囲れており、肘打ちや踏み付けるなどの通常の人力によっては骨折し難いことが認められる。

さらに、胸部の肋骨骨折について、Eは、左上腕部に皮下出血及び筋肉挫滅が、左側胸部に皮下ポケット状剥皮創がそれぞれ認められ、これらが相応する位置にあることからして、非常に強力な外力が、左腕を介して左側胸部に作用し、肋骨骨折が生じたと考えられる旨証言し、高津鑑定も、左側胸部の皮下ポケット状剥皮創の部位にかなり強力な外力が作用して、左第七肋骨が直達的に骨折し、その骨折断片が左肺に刺入して肺損傷が生じたと考えられるとし、右E証言と同趣旨の意見を述べている。

以上のように、高津鑑定及びEが一致して述べるところによれば、Aの胸背部の創傷は、胸椎棘突起の骨折にみられるように、交通事故や階段等からの転落の場合に加わる程度の、非常に強力な外力が作用したことにより形成されたものと認められる。

六  被告人の暴行態様について

1 被告人は、Aに加えた暴行の態様について、捜査段階(乙5の検察官調書、乙2、3の警察官調書)及び公判定において、座っていたAの前に自分も向かい合って座った体勢で、Aの左肩付近を左手拳で二回位殴打し、その前頭部(被告人は、前額部を殴打した旨供述しているが、これは、挫裂創が認められた「前頭部」を「前額部」と供述しているものと認められるので、被告人の供述に関しても、「前頭部」と記述することとする。)を左手拳で一回殴打したところ、Aが後方に倒れ、さらに、起き上がって前屈みになったAの背部を、右肘で二回肘打した旨供述している。

これに対して、検察官は、被告人がAに加えた暴行は、右供述するところにとどまらず、Aを壁ないし床等に叩き付けるなどの暴行を加えている旨主張している。

2 被告人の右供述は、前記のとおり、東京厚生年金病院での診察時に、Aの前頭部及び後頭部に創傷が認められた事実と合致しており(被告人の暴行とこれらの創傷との因果関係については後述する。)、また、被告人は、Aに対する暴行については、本件当日に作成された警察官調書(乙2)から公判に至るまで、概ね一貫して、前記のように供述しているうえ、Cの警察官調書(甲14)によれば、被告人は、救急車の要請により甲野荘に臨場した救急隊員のCに対し、素手でAの頭、肩、背中を殴打した旨話していることが認められる。

なお、検察官は、本件当時、甲野荘二〇一号室にいたFが、二〇三号室の方から、床が大きく揺れるほどの振動が三、四回伝わってきた旨証言しており、このような振動は、Aが壁ないし床等に叩き付けられるなどしなければ発生せず、また、被告人が供述する程度の暴行では、Aの胸背部の創傷が生じ得ないことからしても、被告人がAに加えた暴行は、その供述するところにとどまらないなどと主張しているが、甲野荘は築後約五〇年を経た古い木造アパートであり(甲野荘を管理しているGの警察官調書[甲18])、Fも、二〇三号室の声が二〇一号室まで聞こえた旨証言していることからすると、床が揺れるほどの振動が伝わってきた旨のF証言から、直ちに、Aが壁や床等に叩き付けられるなどしたということはできず、被告人が供述するように、殴打されたAが倒れたことや、被告人が前屈みになったAの背部に肘打ちしたことによる振動が二〇一号室に伝わったと考えても不自然ではない。また、Aの胸背部の創傷が東京厚生年金病院での診察時には生じていなかったと認められることは前記のとおりであり、これが右診察時以前に生じていたことを前提として、被告人の暴行はその供述するところにとどまらないとする検察官の主張は、前提を異にするというべきである。

以上によれば、Aに加えた暴行態様についての被告人の供述は信用できるといえ、被告人がそれ以上の暴行を加えたことを認めるに足りる証拠はない。

七  被告人の暴行とAの死亡との因果関係について

1 前記のとおり、被告人がAに暴行を加えた後、Aは東京厚生年金病院に搬送されて治療を受けているところ、Aの死因となった胸背部の創傷は、同病院での診察時には生じていなかったと認められる。

2 次に、被告人の暴行態様とAの胸背部の創傷との関係について検討するに、まず、高津鑑定及びEが一致して述べるところによれば、胸椎棘突起の骨折は、背部を肘打ちする程度では生じ難いことが認められるうえ、前記のとおり、高津鑑定及びE証言は、背部に強力な外力が加わり、胸椎棘突起が骨折するとともに、背部の肋骨骨折が介達的に生じたものと考えられるとしている。

また、高津鑑定によれば、被告人の供述による暴行の部位とAに認められた多発肋骨骨折の部位とは一致しておらず、両者の位置関係からして、右暴行によって、右のような多発肋骨骨折を介達的にも発生させることは不可能であり、また被告人が供述する程度の暴行では、Aに認められた広範かつ高度の筋肉挫滅を伴う血腫は形成され難いことが認められる。Eも、手拳による殴打や肘打ちによって、Aの胸背部の創傷が生じるとは考えられない旨証言している。

さらに、Aに認められた左側胸部の皮下ポケット状剥皮創についても、被告人が供述する暴行部位と一致していないうえ(前記のとおり、E証言及び高津鑑定は、左側胸部に、左腕を介して、強力な外力が作用し、胸部の肋骨骨折が生じたと考えられるとしている。)、手拳による殴打によってかかる剥皮創が形成され難いことは、高津鑑定及びEが一致した意見を述べている(皮膚に対して斜めないし接線方向に強力な外力が加わり、皮膚面が擦過した場合に、剥皮創が生じるとしている。)。

3 以上のとおり、Aの死因となった胸背部の創傷は、東京厚生年金病院での診察時には生じていなかったと認められるうえ、被告人が供述する暴行態様からしても、被告人の暴行によって、右創傷が生じることは考え難く、結局、被告人の本件暴行とAの死亡との因果関係を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。

八  Aの他の創傷と被告人の暴行との因果関係について

1 前頭部の挫裂創及び後頭部の挫創について

(一) 前記四1(一)のとおり、Aは、東京厚生年金病院で、右各創傷の縫合治療を受けていることが認められるところ、被告人は、捜査及び公判において、前記のとおり、Aの前頭部を手拳で殴打し、Aが後方(窓枠の方向)に倒れた旨供述し、Aの後頭部の創傷は倒れた際に何かにぶつけたのではないかと思う旨供述している。

(二) そして、Aの治療に当たったD子は、臨床外科医としての経験上、前頭部の挫裂創は手拳での殴打によって生じたと考えて矛盾しない旨証言しており、高津鑑定でも、このような挫裂創は、長軸を有する稜のある鈍体の作用により形成されやすいところ、手拳は中手指節関節部の骨が突出しているので、その頂点部が作用すれば、右のような鈍体の作用と類似することや、被告人の左手の負傷状況(左第三指中節骨骨折の疑い、左第二指関節捻挫[甲22の捜査報告書])などからしても、前頭部の挫裂創は、左手拳での殴打により生じたと考えて矛盾はないとしている。

これに対して、Eは、手拳での殴打により生じたとすると、Aの前頭部の挫裂創部位のさらに左側にも皮下出血がみられることと符合しないなどとし、前頭部の挫裂創は手拳での殴打により生じたとは考え難い旨証言しているが、この点について、高津鑑定は、手拳による殴打が挫裂創部位から左側に加わり、皮膚が瞬間的に引っ張られて裂けたと考えれば、皮下出血の点も説明できるとしている。

以上に加え、被告人は、Aに暴行を加えた直後に、Aの前頭部からの出血に気付き、止血を試みていること(被告人の捜査及び公判での供述)からすれば、Aの前頭部の挫裂創は、被告人が左手拳で同所を殴打したことにより生じたものと認められる。

なお、被告人は、公判の途中から、Aがペンチを投げ、これが跳ね返って、Aの前頭部に当たった旨供述しているが、被告人は、捜査段階はもとより、公判廷で、本件の暴行状況について供述した際にも、右のような供述はしておらず、Aの前頭部の創傷は手拳による殴打では生じ難い旨のE証言がなされた後になって、右供述をするに至ったものであるうえ(被告人自身も、右E証言を聞いて、Aがペンチを投げ、これが当たったことを思い出した旨述べている。)、その供述内容も不自然であり、信用することはできない。

(三) また、Aの後頭部の挫創については、D子証言、E証言及び高津鑑定とも、角のある硬い鈍体に強打して形成されたものと考えて矛盾はない旨の一致した意見を述べており、犯行再現捜査報告書(甲12)、写真撮影報告書(甲6)、検証調書(甲7)によれば、被告人から殴打されてAが倒れた方向には、木製の窓枠があり、その前に、間口約四〇センチメートル、奥行約一八センチメートル、高さ約二〇センチメートルの箱型の小物入れが置かれていたことが認められるから、被告人に殴打されてAが後方に倒れた際に、右窓枠ないし小物入れのような角のある硬い鈍体に後頭部を打ったことにより生じたものと認められる。

(四) 以上のとおり、Aの前頭部の挫裂創及び後頭部の挫創は、被告人の本件暴行により生じたものと認められる。

なお、D子証言によれば、右各創傷の程度は、全治約一週間を要する程度であったと認められる。

2 後頭部右側の頭蓋骨線状骨折及び陥凹骨折について

(一) 右の創傷のうち、頭蓋骨の陥凹骨折については、沢口鑑定及び高津鑑定が、やや陳旧性のものであるとしており、被告人も、検察官調書(乙5)において、平成六年三月上旬ころ、Aの後頭部がへこんでいるのに気付いて、尋ねたところ、レンガのような物で殴られたとAから聞いた旨供述している。

したがって、右陥凹骨折は、本件以前から生じていたものと認められ、被告人の本件暴行によって生じたとは認められない。

(二) また、頭蓋骨の線状骨折については、高津鑑定は、その骨折断端の陵がやや鈍円化し、その間隙は治癒過程にみられる結合織により架橋されているように見えることや、その骨折線が陥凹骨折の骨折線と連続していることと、陥凹骨折が生じる際に線状骨折も同時に生じることが多いことなどから、線状骨折も陥凹骨折も同様にやや陳旧性のものであるとしている。

他方、Eは、線状骨折は新鮮なものと考えられる旨証言し、沢口鑑定も、陥凹骨折についてのみ「やや陳旧性」としていることからして、線状骨折は新鮮な骨折と考えているものと推測されるが、いずれも、被告人の本件暴行により生じたものとは断定していない。

そして、E証言及び高津鑑定とも、被告人の暴行によって生じたと認められる後頭部の挫創とこの線状骨折とは、位置的に一致しておらず、Eも、両者に作用した外力は別個のものと考えるのが妥当である旨の意見を述べていることや、被告人の暴行の態様をも考慮すると、被告人の暴行によって右線状骨折が生じたと認めることはできない。

3 左上腕前外側の皮下・筋肉組織間の出血について

前記五のとおり、Eは、左腕を介して、左側胸部に非常に強力な外力が作用し、胸部の肋骨骨折を惹起したと考えられる旨証言し、高津鑑定も同趣旨の意見を述べており、左上腕部に外力が作用して、皮下・筋肉組織間の出血が生じたこと及びこれが胸部の肋骨骨折と同一の機会に生じたことを示唆している。そして、前記四の胸背部の創傷の発生時期及び前記六の被告人の暴行態様からすれば、被告人がAの左上腕部に、胸部の肋骨骨折を生じさせるような強度の暴行を加えた事実は認められない。

したがって、被告人の暴行とこの創傷との因果関係を認めることはできない。

九  結論

以上のとおり、被告人の本件暴行とAの死亡との因果関係を認めることはできず、被告人の本件暴行との因果関係が認められるのは、前頭部挫裂創及び後頭部挫創の傷害にとどまるから、判示のとおり、右の傷害の限度で認定した。

第二  被告人の責任能力についての判断

一  弁護人は、被告人は、本件犯行当時、分裂病型障害と周期性気分変調により、心神耗弱の状態にあったと主張しているので、以下、被告人の責任能力についての当裁判所の判断を示すこととする。

二  被告人の本件犯行当時の精神状態については、二度にわたって、精神鑑定が行われており、各鑑定結果の要旨は、次のとおりである。

1 金子嗣郎による精神鑑定

被告人は、不機嫌、刺激的、易怒、爆発傾向をもつてんかん性性格者であるが、本件についての記憶が保持されていること、本件時、意識障害はなかったとみられること、行動に矛盾のないこと、犯行に至る状況、動機も了解可能であることなどからして、本件犯行は、被告人の性格傾向をもとにしたもので、てんかんの発作とは無関係に行われたものと考えられ、抑制力に多少問題があったとしても、是非弁別及び行動制御能力に障害はなかったと考えられるとしている(金子作成の精神鑑定書[甲24]、精神鑑定書附属資料[25]及び同人の証言。以下、「金子鑑定」ということがある。)。

2 鑑定人作田勉による精神鑑定

被告人は、二〇歳のころから、内因性の分裂型障害及び周期性気分変調が生じ始め、本件当時は悪い精神状態の周期にあったことに加え、飲酒による抑制の低下、被告人本来の衝動的性格、Aからしつこくけんかを売られたこと、Aの背後に幻覚が見えたことが重なって犯行に及んだものであり、事物の理非善悪を弁識する能力が著しく減退していたと思われるとしている(作田作成の精神鑑定書[職10]及び同人の証言。以下、「作田鑑定」ということがある。)。

三  本件犯行に至る経緯及び犯行前後の被告人の行動

1 前掲の各証拠によれば、次の事実が認められる。

本件前日である平成六年三月一六日の夜、Aは飲酒しており、被告人も飲酒しながらヘッドホンで音楽を聴くなどしていたが、同日午後一一時三〇分ころから、酒に酔ったAが、寝ようとしていた被告人にしつこく絡んできた。被告人は、Aに寝るように言い、自分も寝ようとしたが、Aが「人の家に来ていて、よく主人より先に寝られるな。」などと言ってさらに絡んできたため、被告人とAは口論となった。そして、被告人は、Aから「ここから出て行け。」などと言われたため、部屋から出て行こうと思い、着替えをしようとしたが、Aは、被告人の衣類の入ったバッグを枕代わりにしたまま、被告人が着替えの衣類を取るのを邪魔するなどした。

そこで、被告人は、Aの言動に腹を立て、翌一七日午前一時三〇分ころ、Aに対し、前記のとおり、Aの左肩付近及び前頭部をそれぞれ左手拳で殴打し、背部を右肘で肘打する暴行を加えた。

その後、被告人は、Aの前頭部の出血に気付き、止血を試みたが、止まらなかったため、携帯電話で救急車を要請し、到着した救急隊員に対し、Aが東京厚生年金病院に通院していることを話して、Aを同病院に搬送してもらうこととし、自分も救急車に同乗して同病院に向かった。

2 なお、Aに暴行を加えた動機に関し、被告人は、公判廷で、Aの頭部から左肩の辺りに、くすんだ青色をした煙のような物が見えたので、これがAに乗り移って、Aが、着替えを邪魔したり、被告人の腕に煙草の火を押し付けようとしたり、ペンチで被告人の腕を挟もうとするなどの行動をとらせているのだと思い、Aに気付かせるとともに、その煙のような物をAの体から追い出すために、暴行に及んだ旨供述している。

しかしながら、右1のとおり、被告人がAに暴行を加えることについて、了解可能な動機が認められるうえ、被告人は、捜査段階においても、また、捜査段階で精神鑑定を行った金子の問診の際も、煙に関する右のような供述はしていないところ(被告人の捜査段階の供述、金子の証言)、被告人は、本件当日から、犯行前後の状況について比較的詳細に供述しているのであるから(乙2の警察官調書)、公判廷で供述する右のような事実が、被告人が暴行に及んだ真の動機であるならば、捜査段階や金子の問診の際に、一度も供述していないのは不自然であるというほかない(被告人は、捜査段階や金子の問診の際に話さなかった理由について、十分な記憶が戻っていなかった、あるいは、そこまで話す必要はないと思い、言っても信じてもらえないだろうと思ったなどと述べているが、右の事実を全く供述しなかった理由としては、必ずしも得心のいくものではない。)。

したがって、Aの背後に煙のような物が見えたので暴行に及んだ旨の被告人の公判廷供述は、信用し難いといわざるを得ない。

四  そこで検討するに、まず、被告人の記憶については、被告人は、本件当夜の暴行に至るまでの自分及びAの行動、暴行及びその後の状況について、本件当日から比較的詳細に供述しており、本件についての記憶がほぼ保たれていることが認められる(金子鑑定及び作田鑑定とも、被告人の記憶はほぼ保持されているとしている。)。

また、被告人の行動の合理性の有無についても、前記三1のとおり、被告人は、酒に酔って絡んでくるAをなだめて寝かせようとし、暴行後も、Aの出血に気付いて止血を試みるとともに、治療を受けさせるために救急車を要請しているうえ、Aが通院していた病院への搬送を依頼していることにみられるように、被告人は、本件当時、状況に応じた合理的な行動をとっていることが認められる。

さらに、本件に及んだ動機についても、前記三1のとおり、被告人は、Aから執拗に絡まれたり、着替えを邪魔されたことに腹を立てて暴行に及んだものと認められ、その動機も了解可能であるといえるうえ、本件暴行の態様も、右動機との均衡を失するものとはいえない。

したがって、以上のとおり、被告人の記憶に障害のないこと、その行動も合理的であること、動機も了解可能であり、その動機と行動との均衡がとれていることからすれば、飲酒により抑制力が多少低下していたとしても、被告人は、本件当時、是非弁別ないし行動制御能力が著しく減退した状況にはなかったと認められる。

なお、作田鑑定は、被告人は、分裂病型障害及び周期性気分変調により、本件当時の精神状態が悪い状態にあったうえに、飲酒によって抑制がとれ、Aの背後に幻覚が見えたことなどから、本件に及んだものであり、是非弁別能力が著しく減退していたと判断している。

確かに、捜査関係事項照会書謄本五通(甲34、36、38、40、42)、回答書五通(甲35、37、39、41、43)及び外来診療録写し(弁13)によれば、被告人には二〇歳ころから精神科への入通院歴があり、精神面での障害があった事実が認められるけれども、前記のとおり、幻覚が見えたという被告人の供述は信用することできず、前記のような行動の合理性や動機の了解可能性などの事情からすれば、被告人は、本件犯行当時、是非弁別ないし行動制御能力が著しく減退してはいなかったというべきである。

五  以上のとおりであるから、被告人は、本件当時、心神耗弱の状態にはなかったと判断した。

(法令の適用)

罰条 平成七年法律第九一号による改正前の刑法二〇四条

刑種の選択 懲役刑

未決勾留日数の算入 同法二一条

刑の執行猶予 同法二五条一項

訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の理由)

本件は、被告人が、実父が酒に酔い執拗に絡んできたことなどに腹を立て、同人の左肩付近や前頭部を手拳で殴打し、背部を肘打して、全治約一週間を要する前頭部挫裂創及び後頭部挫創の傷害を負わせたという事案である。

被告人は、一時の激情に駆られて犯行に及んだものであり、その暴行態様も、高齢で、特に抵抗する様子のない被害者に対して、一方的な暴行を加えたものであって、犯情は良くない。

しかし、被害者の飲酒のうえの言動が本件の誘因ともなっていること、被告人は、暴行後、救急車を要請して自らも病院に同行し、被害者に治療を受けさせていること、本件を反省していること、前科、前歴がないこと、被告人の実母が、今後の被告人の生活を援助する旨述べていることなど、被告人のために酌むべき事情も認められる。

そこで、以上の諸事情を総合考慮し、主文の量刑が相当であると判断した。

(求刑 懲役二年六か月)

(裁判長裁判官 大野市太郎 裁判官 大善文男 裁判官 染谷武宣)

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